保険ってなあに?
「一人の災難を大勢が分かち、わずかの金を捨てて大難を逃れる制度」(福沢諭吉)
「万人は一人のために、一人は万人のために」(マーネス)
保険とは、将来起こるかもしれない危険に対し、予測される事故発生の確率に見合った一定の保険料を、加入者が公平に分担し、万一の事故に対して備える相互扶助の精神から生まれた、助け合いの制度です。
私たちを取りまく事故や災害から、生命や財産を守る為の、もっとも合理的な防衛策のひとつなのです。
保険のはじまりは?
保険はいつどのようにして生まれ、現在のようなかたちになったのでしょうか。
損害保険のはじまりは、遠く古代ギリシャの海にさかのぼります。
古代ギリシャ時代の海上輸送では、嵐や海賊など予期せぬ危険に遭遇した場合、船と乗組員を守るため、やむを得ず積荷を海に捨てることもあり、その損害は、荷主と船主で負担するという習慣が生まれました。これが保険の考え方のはじまりです。
その後、14世紀になると、航海が失敗したときは金融業者が積荷の代金を支払い、航海が成功したときには金融業者に手数料を支払うという仕組みをイタリアの商人たちが考えだし、それが「海上保険」へと発展しました。
保険はやがて陸に上がります。イギリスやドイツで陸上の生活における火災や盗難などの危険に対し、みんなで力を合わせて助け合う制度が生まれました。1666年、ロンドン大火を機に海上保険をお手本にした火災保険が登場します。これは、過去の火災発生率や現在の建物数から保険料を設定するなど、近代的な火災保険の原型となるものでした。
さらに、産業革命の波とともに火災保険の需要が急速に増え、各地に多くの火災保険会社が設立されました。その後、市民生活の発展とともに個人生活から企業活動にかかわる分野まで保険がつけられるようになり、保険は身近なものとなっていきます。
日本ではどうだったのでしょうか?
日本の損害保険の歴史も、海からはじまりました。16世紀から17世紀の初めに活躍した朱印船には、海難事故などの危険が高かったため「抛金(なげかね)」と呼ばれる制度があったことがわかっています。金融業者が航海ごとに金を出し、無事に航海が終われば利子と元金を徴収、しかし船が難破した場合は利子も元金も払わなくていいというもので、これが日本における損害保険のはじまりといわれています。
近代的な保険制度は、幕末から明治維新にかけて外国から入ってきました。当初は、日本に居留する外国商社を対象にするものでしたが、文明開化の進展とともに日本資本の商社や日本人を対象にする保険会社も登場しました。そして1869年、神奈川県の税関が、日本人による初の保険を実施。やがて多くの損害保険会社が誕生していきます。
資本主義の広がりとともに、日本の損害保険も発展していきます。第二次世界大戦後には、めざましい経済復興とともに損害保険事業も大きく成長しました。今では自動車保険や火災保険やの無い生活など考えられないように、損害保険は社会を支える重要な柱のひとつとなっています。
「保険料」ってどうやって決めるの?
保険料は、過去の事故や災害統計データを基にして、適正な金額を導き出して決められます。
1.「大数の法則」により、事故や災害の発生確率を導き出します。
大数の法則とは?
サイコロを振って1の目が出るかは偶然ですが、振る回数を増やすとその確率は6分の1に近づきます。このように確率が一定値に近づくことを「大数の法則」といいます。事故の発生確率を出す時も、数件の事故率ではなく、多くの事故データを分析することによって発生確率を予測できるようになります。
2.「公平の原則」により、発生確率の高低にあわせて保険料が決まります。
公平の原則とは?
「事故の確率が高い人には高い保険料、確率が低い人には低い保険料」というように、皆が平等になるようにしているのが、「公平の原則」です。たとえば、「鉄筋コンクリート造の住宅」の方が、「木造住宅」よりも火事で燃えにくいので、保険料が低く設定されます。
3.「収支相等の原則」により、保険料の総額と保険金の総額を等しくしています。
「収支相等の原則」とは?
保険契約者から集めた保険料の総額(収入)と、保険会社が支払う保険金の総額(支出)を等しくし、妥当な保険料水準になるようにしているのが「収支相等の原則」です。
このように、きちんとしたルールに則って、保険料を適正な水準にしています。